今回のチベット修行の旅は、全てが神さまとマハラジからのギフトであったと思います。
無事に全日程を終えることができたことはもちろん、
体調不良でみなさんにご迷惑をおかけしたこと、
見るだけでもと願ったマナサロワール湖で沐浴できたこと、
カイラス山北壁で瞑想できたこと、周回までできたこと。
そして、ダルマラを目指す日に馬が来ない!と心が乱れそうになったこと。
やっと落ち着いての修行がありがたかったティルタプリでの短い日々。
グルプージャのお知らせとともにいただいたカイラスの日程表を見た時、
急にどうしても行きたいと突き動かされるような強い願いを持ったあの瞬間から、
高地順応の練習や毎日の過ごし方、家族や仕事の都合もつけていただいて
本当に自分の命と向き合うような経験をさせていただきました。
高地での体力的に厳しいところでの修行というだけではなく、
よく言われるヨーガの智慧を日常に生かす、落とし込む、ということを、
しみじみ反省とともに振り返ることができました。
特にカイラス2日目の朝、
馬が来なくて時間だけが過ぎていくように思えた時、
なぜ私なのか?と一瞬心が折れそうになりました。
それから落ち着いて馬が早く来てくれますように、と祈ったのですが、
「だから私なんだ!」とわかったのです。
このできごとを通じて、自分がいかに肉体的にも精神的にも未熟であるかを痛感しました。
「このことを忘れるな、これが今の自分なんだ」とマハラジが強く諭してくださったのだと思います。
体力的に厳しいことをするだけが修行ではないんだと、
思いがけないことが起きてきても平常心で全てを応諾すること、
常に客観視できる心の平安を保つこと、
それを目指すことこそが修行なのだと、
改めて思い出させていただきました。
マナサロワール湖で水から上がってきた時、
ものすごい勢いでまるで着ぐるみがはがされたような解放感に満たされました。
本当にすがすがしい感覚、今まで経験したことのない、
一生分の罪や穢れが洗い流されると聞いていましたが、
私にとっては要らなくなったもの全てがそぎ落とされたような感覚でした。
一生分の罪と穢れが洗い流されて残るものは、溢れるような感謝の気持ちと初心でした。
それは本当にありがたいことでした。
でもそれだけじゃだめだ、ここからが本当の修行なんだと、ほっとしてうかれる私に、
マハラジが釘を刺してくださったのだと思います。
温かいお心を感じ、肝に銘じてこれからの毎日を過ごしていきます。
慧心先生、みなさん、本当にありがとうございました。