チベット修行会⑤ ティルタプリ

翌日、ティルタプリへ向かう道で見たのは真っ白のカイラス山でした。

 

ここで雨なら山では雪、といわれたとおり、本当に黒い岩肌が白く覆われていました。

ものすごいタイミングで帰らせていただいたと思うと、もう言葉もありませんでした。

 

ティルタプリは聖地で、マハラジがその師匠であるアートマ大師と出会い修行された場所。

もう一度師匠に会いたいと再びインドからヒマラヤを越えて行かれた時は、

大師はラサに向かわれた後で会うことは叶わず、本当に一生に一度の出会いであったそうです。

それこそ一期一会、

その出会いで教わった行法を山にこもらず教え伝えろと約束されての修行を、

師匠への恩返しとして教え伝えてくださったことから、それをまた師匠への恩返しと伝えてくださってる慧心先生があってこそ、大きな感謝の思いでいっぱいでした。

 

この場にいるからこそここで修行されたということの重みが、何千年もの間ここで何世代もの大師方が伝えて続けてくださったという歴史の重みがひたひたと感じられました。

 

たくさんの洞窟がありそこで瞑想修行をされていた名残だけで、今では洞窟は崩れ落ちています。

チベットの鳥葬の地も近くにありました。私たちは決して近づいてはいけないところです。

ここまで無事にたどり着けたお礼のアグニホトラ護摩行の後、やっと腰を据えてのラージャ・ヨーガ修行の日が始まりました。

朝早く寒くて震えながらの瞑想の前のお話、瞑想、アーサナ、呼吸法。

夕方からも同じ順番での修行。もったいなくて1日1日が本当に愛おしい感覚でした。

この頃には体も高地に順応できたらしく5,000メートルの地でありながら、

呼吸法の後の血液中酸素濃度は93~95など、平地と比べても遜色ない状態でした。

 

帰りたくない、ここでずーっと修行していたい、という思いがよぎります。

 

そういうわけにいかないとわかっているからこそ余計に思うのでしょう

帰るところがあるから、帰ってからの役割が待っているから、とにかく集中したいと思いました。

ヤクの毛で織ったテントは、光や風は通すけど、雨はもらないのです。

すばらしい生活の知恵に支えられながらの行、また聖者が瞑想されていた洞窟が屋根をつけてお堂になりその中での瞑想など、たくさんの経験をさせていただきました。

ヤクの毛で織ったテント  ~光や風は通すけど、雨はもらないのです~
ヤクの毛で織ったテント ~光や風は通すけど、雨はもらないのです~
聖者が瞑想されてた洞窟に屋根をつけてお堂とされています。
聖者が瞑想されてた洞窟に屋根をつけてお堂とされています。

 

中国政府のチベット外国人立ち入り禁止期間が始まる、明日にはチベットをたたなければならないというティルタプリ最後の日は恐ろしいくらい美しい夕焼けでした。

もう本当に二度と見ることはないと胸が詰まりました。

この美しさ、この世のものとは思えない壮大な夕日を一生忘れない、

怖いくらいの経験を通してこれからの人生を歩んでいくことを覚悟しました。

この世のものとは思えない壮大な夕日 『一生忘れない』
この世のものとは思えない壮大な夕日 『一生忘れない』

帰りの空港で、

ネパールに帰るドクターと料理長、ガイド長のカイラさんにお礼を言い握手しました。

カイラさんがちょっと口ごもりながら「太田さん。。。今だから言いますが。。。」「はい?」

 

「実は太田さんはドクターストップが出てたんです。ドクターが、太田さんはもう無理だから帰らせろって。」

 

冷や汗が出そうでした。やっぱり。

 

「ドクターと、チベット人ガイドと自分とで相談してたんですが、もう1日だけ様子みましょうって私が言って。ドクターはダメ、無理って言ったんですが、朝になってもダメだったら、自分が話をして帰らせるって。もう1日だけって言ったら、太田さんは朝になったらずいぶん元気になりました。本当に良かったです。」

 

思わずカイラさんにハグをして、本当にありがとうございます!心からのお礼を言いました。

 

後日、日本に帰ってからその話を1番お世話になっていた友達に言ったら、

なんと彼女も言いにくそうに、カイラさんに聞かれたのよ、って。

「太田さん、どう思いますか?」と・・・。

自分が無理かもって言ったら絶対帰らされる!どうしようと思って、

「もう1日様子を見てください」って言ったのだと。

そういえば、私が1番体調が優れなかった頃彼女に聞かれました。

 

「本当にカイラス行きたい?」って。

「もちろん!」

「じゃあ、がんばらないとね」

 

その時はなんで今ここで聞かれるのか、不審に思いました。

私がどうしてもカイラスに行きたい!一緒に行こう!と誘って、

一緒に高地順応の練習にも行き準備もしてきました。

忙しいのはわかっているからと、私の分も自分と同じダウンやステッキを買って送ってくれた位、誰よりも私の思いを理解し協力を惜しまず助けてくれた彼女。

その時の複雑な思いを初めて聞いて、申し訳なさとともに、本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。

ありがとう!ありがとう!ありがとう!